終戦記念日は今日ですよ

戦争は戦争を養う

ヨハン・クリストフ・フリードリヒ・フォン・シラー(劇作家・詩人)

NHKで討論の特番が入っていますが、一部に熱くなりすぎていると言いますか、相手のことがちゃんと見えていない意見があったのが残念です。 意見をぶつけること自体はいいことだと思うのですけど。

nectaful: 終戦60年目の・・・
http://mamamaya2024.fc2web.com/dexiosu/plog-20050807.html
スレッドの方でさんざん突っ込まれたであろうこのエントリですが、敢えてこの日に突っ込みを入れようと思います。
まず、8月6日は広島に原爆が投下された日です。 ちなみに長崎は8月9日です。 もう彼の頭の中では何がどう結びついているのか想像もつきません。

 去年かその前かの終戦記念日の時にも書いたんだけど、原爆や戦争に関する言葉については知らない人間には何を語る権利も無いわけだし、だから自分はこういう時に放送される番組をただ見たり、聞いたりという態度を大事にしたいと思う。語る人の言葉をちゃんと聞いておく事が、一定のスタンスを自分の中に作るんじゃないかと思っているし、それが追悼乃至は慰霊に通じるんじゃないか。ただ、その結果自分の心の中に生まれてくるものは、普通の人間とは違ったりしてるのかもしれないとふっと思う事がある。

ある事柄について知識を持たない人は口を挟むなということですか。 確かにdexiosu氏の心の中に生まれてくるものは他の方とは違いますよね。 終戦記念日を8月6日と言い張るくらいですから。
しかし、人の話を全然聞かない人がこんな文章を書くとは……おへそがお茶を沸かすのはこれで何度目でしょうね?

(前略)だから、原爆の語り部の方々がずっと原爆を語り続ける事についても、本当は固執して欲しくないと思う。
 若い者が起こす事は若い者の責任なのだから。戦争は起こそうという人間がいない限り、起きないのだから。

戦争にしろ原爆にしろ、その凄惨さと悲しみを語り継がなければ、現代では貴重なその経験もいずれ朽ちて風化していくのではないでしょうか? 戦争を学校の授業やテレビ等のメディアを通じてしか知らず、この身に、肌に直接感じることができない今の世代(当然、私もその世代です)に戦争を語っていくということは、私たちが戦争や原爆といったものに他の方の体験・経験を通してじかに触れることができる数少ないチャンスなのです。 番組というフィルタをかけるのではなく、直接触れるということに少なからず意義があるのではないか、と思います。 また、戦争を知らない世代だからこそ、もたらされる戦争の記憶や情報を自分なりに解釈し、独自の考えを持つこともできるのではないでしょうか?
それとも、被害者には核を撃った(落とした)責任はないのだから核や原爆について語るな、とでも言いたいのでしょうか。 そうだとしたら不謹慎の極みですね。
それから、『若い者が起こすこと』は若い者の責任に留まりません。 残された問題が大きかろうが小さかろうが、後の世代にまでその責任は追及されるのです。 悲しみや憎しみを生むような問題は特にそうですね。 今日(15日)のNHKの討論特番でもそのような話がありました。

(ムルロア環礁以来あまり核実験が起こってない事は救いなんだけど)

残念ながら何度も核実験は行われています。 調べればたくさん出てきますよ。 確か、何事もきちんと調べて証拠を出すことができるんでしたよね。

(前略)いじめを起こす感情と戦争をしたがる感情は同じだっていう。(中略)たぶん自分が希望を持つ対象ってのは、今は数少ない個人に対してなんだよね。人類とか、国家とか、そういうマクロな対象に対してじゃなくて。本当はマクロなものが全てを決定してしまうのに。

読んでいて『えええーー!?』と声を出してしまいました。 いじめを起こす感情なんて、大抵の場合は大したものではありません。 あいつが気に入らないとか、事件に発展するものですらそんなものです。 相手が心の底から憎いとか、殺してやりたいとか、主義・主張や思想・宗教上の対立とか、そんな原因でいじめを始める子供がいたら怖いですよ。*1
別にdexiosu氏がマクロなものに対して希望を持とうが持つまいがどうでもいいことですが、希望を持つという数少ない個人が誰であれ、その人に迷惑を掛けないで欲しいものですね。

 (余談:もう一つ思う事は・・・自分はアトムにしろ、サイボーグにしろ、体内に原子炉を持っている等身大キャラクターに異常に感情移入する傾向がある。自分は自分自身を核的存在と感じているんだと思う。
 自分が趣味の同人作品等で戦争を描く事はしばらく無いと思う。ただその作品(前編は88年、後編は99年なので、足掛け12年の作品だったわけだが)からもう6年位経っているので、その間世の中も変わったし、何か書くべき何かが心に生まれたら書くかもしれない。)

核的存在ですか……驚いた後は失笑です。 どのような意図で核的存在なのかは理解しかねますが*2、dexiosuさんが核や戦争をどれだけ軽く捉えているか、ということはこのエントリでよーくわかったと思います。
私はdexiosu氏に何も語るなとは言いません。 しかし、戦争と言わず悲しみをともなうこと(誰かの訃報など)については語ってほしくありません。 それは悲しみを拭い切れない方々に今もなお追い討ちをかけ、心の傷を抉り、広げることでしかないからです。 そういうことをされるくらいなら、郵政民営化に関してのんびりパックとか言っていてもらった方が精神的に救いがあります。


ああ、それからもうひとつ。
dexiosuさん、エントリの最後で生まれ変わりの話をしていますが、『輪廻』はヒンドゥー教や仏教の概念ですよ。 キリスト教、関係ないんです。
はい、証拠→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BC%AA%E5%BB%BB


最後に少し、私の話を。 蛇足なので省略させていただきます。
私の祖父は特攻隊員でした。 出撃の2、3日前に終戦を迎え、結果として(当然ですが)生還し、祖母と結婚し、母をもうけました。 祖父も祖母も既に亡くなっていますが、成人した今でも考えます。 あと3日、終戦が遅かったら……私は存在していませんでした。 実際に空襲などでご家族を亡くされた方には遠く及ばないかもしれませんが、自分の存在が生まれる前から脅かされていたという恐怖に時々ぞっとすることがあるのです。 そうして周りを見回して、自分も他人も同様に脅かされていたのだということを、当たり前なのですが噛み締めるようになりました。
そしてしきりに考えます。 『なぜ、戦争は犯罪ではないのか』と。 高校生の時に友人が買い漁っていた『沈黙の艦隊』を借りて読んでいたのですが、当時は小難しいことを考えずに読んでいたものが今、ようやく自分の中で問題提起として形を成すようになったということでしょうか(苦笑

*1:今の子供ってそうなんでしょうか……。

*2:もしかして、単純に核動力だから核的存在ですか?